間取りについて調べてみた
今週のお題「間取り」
20代も後半となってくると、引っ越す人が増えてきます。
理由は、独身寮を退去して一人暮らし、転勤、同棲、結婚、大穴でシェアハウス・・・
などなど。
私は「引っ越ししたんだ~」という報告の裏の事情を、場所や時期などで類推するのが好きです。
ですが、毎回困るのが「間取り」についてです。
「1LDK、広くていいでしょ」
と言われても何部屋あるかわかりません。
これでは、彼女に何が起きて引っ越しに至ったか分からない!
正直に訊けばいいんだけど、それでは味が無い。
そもそもLDKって何の略?
Dはダイニングルーム(食事室)、Lはリビングルーム(居間)の意で、DKなら「キッチンにテーブルを置いて食事もできる程度の広さの部屋」、LDKなら「DKよりさらに広くソファなども置けるほどの広さの部屋」ということになる
ということは、1LDKの場合、キッチンにテーブルも置けてソファも置けちゃう部屋に引っ越したわけです。
部屋に対する考え方は人それぞれだけれど、ソファが置ける部屋での一人暮らしは「勝者」だと私は思っています。
部屋数は?
アルファベットの前の数字はDKやLDKを除いた居室の数を表しており
1LDKの場合、居室は1部屋ということになります。おそらく寝室かな。
この部屋の広さで、一人暮らしか同棲かが推測できそうですね。
蛇足ですが、突然男が広めの部屋を借りるときは、同棲している(する)か、ほぼ毎日彼女が来ているかで、女が広めの家を借りるときは自分への投資だと思っています。
ちなみに私はおそらくダイニングの位置に「食堂」と書かれた間取り図に出くわしたことがあります。3SD(食堂・台所)でした。食堂は一般的な表記なのか気になるところです。
食堂といえば、閉店時間ぎりぎりに行くとB定食とカレーライスの2択しか選べず、副菜に春雨サラダがあるからB定食にしようと思ったら、品切れで胡麻和えに変更されてて悲しくなるところですよね。
おわり
夫婦は他人と考えたい私
籍を入れ、夫と呼ばれる人と暮らし始めて3ヶ月が経ちます。
この間、私が泣いて喚いて「結婚するんじゃなかった」と口に出したり出さなかったりしたのが2回。夜中に涙が止まらなくなったのが1回。
もちろんイライラしている日のほうが、多い。
なんで私は結婚したのかな?という疑問が駆け巡り、楽しそうな先輩夫婦を見ては自分に自信がなくなる毎日。何故か夫は新婚生活に不満がないようで、私の性格の問題かな…と更に落ち込みます。
おそらく私は「意見を伝えること」に対して物凄くストレスを感じるタイプです。
それが、些細なことであればなおさら。
押入れの右スペースを整理してストック置き場に作り替えたい、とか明日は金属ゴミの日だからハンガー捨てられるね、とか。
この3ヶ月の共同生活の中、夫はゴミ捨てにアサインされ、継続中です。夫が引越しの際に大量に持ち込んだ針金ハンガーが不要になったので捨てたいという懸案は2週間前に伝えてありました。正直、金属ゴミの日をチェックして捨てにいくのは夫の役割では?と個人的には思うのですが、そうもいきません。
ここで夫を他人、例えば仕事の同僚とすればどうでしょうか?
仕事の進みの悪い同僚に「頃合いを見てリマインドする」というのはビジネスにおいて正攻法、何もおかしいことはありません。
同僚の対応が悪ければ上司に相談します。夫の場合は義両親でしょうか?上司(義両親)が私の肩を持つか、同僚(夫)の肩を持つか、この辺りの見極めは家庭でもビジネスでも必要になってくるでしょう。
次に、夫を取引先とするならば、円滑に進めるためにリマインドは良しとしても、何度も期日を守らなかったり、仕上がりが不十分であれば今後の取引を考えなければなりません。
夫という取引先を辞めた場合、そもそも外注を止める(自分でやる)か、さらなる外注(ハウスキーパーを雇う)を検討することになります。
結婚という契約についての再検討も必要かもしれませんが、今回はとりあえず横に置いておきましょう。
最後に、夫を友人とする場合。元々恋人同士から夫婦になったのに、ちぐはぐな感じがしますが、仕方がありません。
夫とは同僚以上親友未満くらいの間柄とします。私は友人とあまり揉めたくはないので、なんか違うなあと思ってもまあいっかで済ませます。忘れっぽい友人には自分からリマインドしたり。でも、向こうから連絡してきてくれる友達が多いような気がしているので、無意識に楽な友人を選んでいるのかも…
なんとなく、夫を「仕事ができない同僚」か、「ちょっとめんどくさい友人」くらいに思っておくと些細な意見を伝えることを苦と思わなくなりそうな気がしてきました。
正直、どちらも毎日顔を合わせたくないですが、「夫婦がうまくいってない」より「仕事のできない同僚」や「めんどくさい友人」のほうが「そんな人もいるよね〜」と女子会で酒と共に流せそうです。
さて、そんな私ですがAmazonでこんな本を思わずポチりました。だって毎日不機嫌だもの。
読み終わったらゼクハラ(ゼクシィを机など見える場所に置き結婚を迫るハラスメント)よろしくリビングの机に置いておきます。楽しみ。
うみがめとおじいちゃんと私
老人ホームで久しぶりに会ったおじいちゃんは、車椅子に乗って私たちを出迎えてくれた。
お気に入りの半纏はリバーシブル。表面には緑地に白字で「め」とたくさん書かれている。め組の半纏は、おじいちゃんにぴったりだ。
施設の人が「〇〇さん、お洒落だし、おしゃべり上手だから他の奥様にも人気なんですよ」と言っていて、私は心の中で「知ってるよ」と返事をしていた。
おじいちゃんの話し方はゆったりしていて、時々遠くを見ていて、過去と現在を行き来しながら会話は進んでいく。
オーストラリアに行った話は軽く見積もっても50年前、施設の皆さんとお出かけしたのは先週。そして、私と水族館に行っていたのは20年前。
お母さんがぽつりと「また、水族館行きたいね」と言った。
おじいちゃんは「そうだなあ」と遠くを見て言った。
私も少し遅れて「そうだね」と言った。
おじいちゃんのこけた緑色の頬を見ながら、声が震えないように細心の注意を払って言った。
母と別れ、地下鉄に乗り込む。
いつもは不快なホームのしっとりした空気が、妙に懐かしく感じられた。
「名古屋港水族館」とスマートフォンに打ち込み検索する。ウミガメ海遊水槽の改装工事という言葉が目に飛び込んできた。
気がついたら、水族館行きの紫色の地下鉄に乗っていた。
私は幼稚園から小学生の頃くらいまで、長期休みは必ずと言っていいほど祖父の家に預けられていた。二人きりでおじいちゃんとお出かけすることが多く、その中でも、ダントツ一位の行き先が名古屋港水族館だった。
そのころの名古屋港水族館はシャチやベルーガのいる南館は無くて、早起きが苦手な私たちが昼過ぎにふらりと行っても、困るような混雑はしていなかったと思う。
水族館に着いた私たちは、まずはイルカショー会場に向かう。イルカショーの座席に座って、巨大なモニターを見ながらおばあちゃんの作ってくれたおにぎりを頬張る。ショーまであと30分あるので、人はまばらだ。食べ終わったらショーが始まるまで、柵の向こうで忙しなく泳ぐイルカを見つめる。
隣に座った親子が持つ少しフライドポテトに心が揺れるけれど、イルカに視線を戻す。おじいちゃんとのお出かけは、基本的に買い食いをしない。
イルカショーを見終わったら、私たちは順路通りに進んでいく。
私のお目当ては、ウミガメ回遊水槽だ。
名古屋港水族館では海中と2階からウミガメを見ることができるが、特に2階からの眺めが好きだ。
私たちはエサやりの時間を目掛けて、移動する。
2階から飼育員さんがイカのような軟体の塊を握って水槽にほおる。
パーンと水飛沫があがり、大きなウミガメがぱくりと食べる。「これは、アオウミガメです」
パーン「タイマイです」
パーン「アカウミガメ」
パーン「尻尾が太くて長いのがオスです」
ときどき、狙いとは違うウミガメが餌を食べてしまう。
バインダーを持った飼育員さんが、どのウミガメが餌を食べたか記録していく。
パーンという音と、餌を追いかけるウミガメのバシャバシャという音が吹き抜けに響いて、頭がぐわんぐわんする。ぬるく湿度の高い風が吹き抜ける。
「エサやり体験をしたい人は、バケツの近くに集合してください」
おじいちゃんは、やるか?と小さく囁いたけれど、私は首を横に振った。
飼育員の周りには人がわっと集まり、あっという間にバケツは空になった。エサは握り拳大のキャベツだった。
キャベツを手に入れた人は飼育員さんに促され、それぞれ特定のウミガメをねらってキャベツを投げる。
水面が揺れるように上手に投げると、ウミガメはキャベツを食べる。
ぱしゃん、バシャバシャ
ぱしゃ
ぱしゃん、バシャバシャ
時々、小回りのきく小型のカメが早く気がついて、キャベツを横取りしていく。コントロールを失ったキャベツは時折、中央のゴツゴツとした島に引っかかって、ウミガメには届かない。
飼育員さんが記録する。
アナウンスが入り、ウミガメ水槽から人がほとんどいなくなっても私はしばらくそこにいて、ウミガメをじっと見つめていた。おじいちゃんは何も言わずに立っていた。
気が済んだら、大水槽まで行ってベンチに座って休憩し、ペンギン水槽のベンチでも休憩して、お土産コーナーを見ないで帰る。
気が向いたら、天津甘栗を買う。
それが私たちのお決まりのコースだった。
後30分。名古屋港水族館を早足で移動する。南館を通り抜けて連絡通路から北館に向かう。ウミガメ回遊水槽への近道が分からない。
階段とエレベーターを駆使して半分ほどショートカットし、珊瑚礁や骨格標本を横目に早足で通り抜ける。
「10分後、15:30より、ウミガメ回遊水槽にて、ウミガメのエサやりショーを行います…」
ウミガメ回遊水槽に着くと、ちびっ子たちが柵に貼り付き、後ろを大人たちが囲っていた。その後ろに、私は立つ。
パーン、バシャバシャ、おおっー「アオウミガメです」
人垣でウミガメは見えない。けれど、何が起きているかはわかる。
お盆期間は、ウミガメのエサやり体験はしないそうだ。キャベツを食べるウミガメを見ることができなくて少し残念だ。
エサやりの時間が終わると、飼育員さんはその場に残って質問を受け付ける。柵の前の人垣はばらばらになり、もじもじと機会を伺う人しか残らない。
小学生くらいの子、その奥さん、お兄さん…色々な人が質問をして、立ち去っていく。
私は、それを横目に柵の前に立ち、ぱしゃんぱしゃんと波を立てるウミガメを見た。
水槽は綺麗になっていたが、何も変わらない。
おじいちゃんと私は会話を交わさないから、ひとりになっても一人ではない。
一枚写真を撮り、家路に着いた。
東京に、戻るのだ。
あの時の写真は、結局おじいちゃんに見せることはなかった。
その半年後、おじいちゃんはこの未曾有のパンデミックを知ることなく、この世を去った。